私は都内の一流企業で働き、毎日身なりを整えて出勤していますが、私の住むワンルームマンションは、足の踏み場もないほどのゴミに埋め尽くされています。世間では、ゴミ屋敷の住人といえば高齢者や社会的に孤立した人を想像するかもしれませんが、実際には私のような現役世代のビジネスパーソンも少なくありません。私がいつから部屋を片付けられなくなったのか、自分でもはっきりとした境界線は分かりません。仕事の過度なストレスから帰宅すると何もする気力が起きず、コンビニの袋を床に置いた。それが一日、また一日と積み重なり、気づけば数ヶ月後には床が見えなくなっていました。統計では「何人に一人」がゴミ屋敷に住んでいるのかという数字が出されることもありますが、私の周りを見渡しても、まさか私がその一人だと思っている同僚は一人もいないでしょう。私は外では完璧を装っていますが、家の中ではゴミの山の上で眠り、異臭を消すために消臭スプレーを浴びるように使う毎日を送っています。ゴミ屋敷という言葉の背後にあるのは、だらしなさではなく、圧倒的な「虚無感」です。物を捨てるという単純な判断さえも、疲れ果てた脳には耐え難い重荷となってしまいます。ある調査では、都会の単身世帯における潜在的なゴミ屋敷化のリスクは、私たちが想像するよりもはるかに高く、百人に数人は私のような「隠れ住人」である可能性があると聞きました。私たちは誰にも助けを求められません。ゴミが溜まれば溜まるほど羞恥心は増し、人を部屋に呼ぶことができなくなり、さらに孤独が深まる。この悪循環の果てに待っているのは、社会的な死です。私は、自分がゴミ屋敷の住人であることを隠し続けながら、いつかこの部屋で誰にも気づかれずに朽ち果てていくのではないかという恐怖と常に隣り合わせで生きています。もし、私の隣の部屋の人も、あるいは向かいのマンションの人も、実は私と同じようにゴミの山の中で震えているのだとしたら、この「何人に一人」という数字は、救いになるのでしょうか、それとも絶望を深めるだけなのでしょうか。
都会のマンションに潜む隠れゴミ屋敷の住人が語る告白