私は数年間、ゴミ屋敷の清掃を専門とする会社で働いていました。何百もの現場を経験した者として、世間が抱いている「ゴミ屋敷の住人=だらしない人」というステレオタイプを真っ向から否定したいと思います。私が出会った経験者の方々は、驚くほど多様でした。中には医師、弁護士、学校の先生といった、社会的に高いステータスを持つ方もいれば、心優しい孤独な老婦人、あるいはブラック企業で心身を病んでしまった若者もいました。彼らに共通していたのは、決して悪意を持ってゴミを溜めたわけではなく、人生のどこかでボタンを掛け違え、自分を守るためのエネルギーが尽きてしまったという点です。この記事を最後まで読んでくださっている方の中には、今まさにゴミの山の中で絶望している方や、大切な人がゴミ屋敷に住んでいて途方に暮れている方がいらっしゃるかもしれません。ゴミ屋敷の経験者として、最後に私が伝えたいのは、どんなに深刻な状況であっても、必ずそこから抜け出すことができるという「希望」です。私がゴミ屋敷の住人だった頃、私は自分の人生がもう終わったと思っていました。一生、この暗くて臭い部屋で、誰にも知られずに死んでいくのだと本気で信じていました。しかし、今の私は、朝日が差し込む清潔な部屋で、一杯のコーヒーを飲みながら、この文章を書いています。ゴミ屋敷の経験者という過去は、私に「空間の尊さ」を教えてくれました。部屋を綺麗にすることは、自分を大切にすることそのものです。ゴミを袋に入れるという行為は、自分を蝕んでいた負の感情を一つずつ手放していくプロセスです。もちろん、一朝一夕にはいきません。途中で挫けそうになったり、実際に手が止まってしまったりすることもあるでしょう。ある現場では、部屋中に未開封のブランド品が溢れていました。住人の女性は、買い物依存症という形で心の空虚を埋めようとしていたのです。また別の現場では、亡くなった配偶者の遺品を一つも捨てられず、それがいつの間にかゴミの山に飲み込まれてしまった男性がいました。経験者として現場に立ち続けて分かったのは、ゴミ屋敷とは「心の怪我」が膿んでしまった状態だということです。
ゴミ屋敷の清掃業者として働いた経験者が語る住人の素顔